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2017年6月21日 (水)

ショパンのマズルカ

ショパンのマズルカop50-3をさらっている。


マズルカと言えば、ポーランドの農民の踊りが原型とされ、マズール、オベレク、クヤコヴィアクなどの踊りをショパンが芸術的に統合したもの・・と思っていますが、この50-3はメランコリックに夢見るテーマで始まり、対位法的な実験もさることながら異名同音によるめくるめく転調、3拍子のリズムの呪縛から解き放たれて即興的に奏するのではないかと思われるフレーズなど、多くの豊かなものを包含している。


jazzピアノを習い即興をする側に立つことで、自身もコンサートで与えられたテーマに基づいて即興したショパンの思考回路が少しでも分かるのではないかと思ってこれからが楽しみ・・・

マズルカのような踊りは身体と呼吸を使ってこそ・・あたかも踊っているかのように・・曲と一体化できると信じて疑わない。。曲の中に在るリズムの移り変わりによって、2拍子目が強調されたり3拍子目が重くなったり。このリズムの感覚は教えるのが非常に難しい感覚の1つと思う。


ショパンのマズルカとはどこまでいっても踊りであると思う。たとえどんな緩やかなマズルカであっても・・つまりリズムの重心(と勝手に呼んでいる)が1拍目だったり2拍目だったり3拍目だったりするが、必ずどこかにある。そうでないと踊れない。

どこに重心があるかは書かれている楽譜が物語ってくれる。だからそれが見つかるまでは音楽と会話して1番しっくりくる弾き方を探す。
マズルカのCDを買いに行って、ミケランジェリやルイサダの演奏を聴いた。ルイサダのop50-3は踊れない。たとえ試し弾きのような部分でも裏には3拍子が隠されているので、それを忘れて弾くと全体がまとまらなくなってしまう。ほんの一瞬即興的に弾くことが許されると思う箇所があるが、それはその前後に3拍子の拍感があってこそ生きる。ちょっとしたリズムのセンスがマズルカ生殺与奪の鍵を握っている。

2016年4月21日 (木)

クユムジャン・メトーデ/指をアクティブに

どんな先生にどんな奏法を習うのか、先生によってそれぞれやり方の違いはあっても目指すところは同じだろうと思う。それは腕は身体の重量を支える手を作る・・という点だ。音楽を奏でるのは指なのだが、ピアノは指に重さをかけて弾いているので練習を休むと調子が下がるのがはっきり分かる。クユムジャン先生のメトーデ=クユムジャンメトーデについて以前書いたが、腕・上半身の重さを支えられる手を作ることを目的としていると思うけれど、それはつまり、

①指の関節を固定(緊張とは違う)したり、それを解除したりできる・・指を曲げて固定して弾いたり(速いパッセージの場合)

指を伸ばして固定して弾いたり(ゆっくり歌うパッセージの場合・接地面積を大きくする)できる。

でも手首や腕は関係していないので自由に動かせる。関節を支える筋肉を鍛えると、手の中にある筋肉で指を動かす感覚・・「指がアクティブである感覚」が生まれる。

②それができるようになったら手首を固定したり解除したりもできるようになる。固定というのはドイツ語でfixierenと言うが、緊張とは違いただ動かないようにするだけのもの。

関節の固定の仕方や場所でいろいろなタッチが生まれるけれど、それは全て音楽の要求に応えるためのもの。バッハの多彩なアーティキュレーションのためには柔軟な手首が要るし、ショパンの美しい内声を際立たせるためにはバスを響かせ倍音を強調する弾き方も要る。自分の感覚を研ぎ澄まして心の声に耳を傾けたい。

2015年12月 6日 (日)

バッハの奏法2

バッハの奏法・・ピアニストにとって永遠の課題。

なぜなら自分が進化し続ければそれと同じように奏法も進化し続けるから。

1つ1つのタッチの可能性もスタカートからレガートまで無限の段階があり、どの曲のどの場所でどのアーティキュレーションを選択するのかは経験と練習とによって自分の中で変化を遂げてゆく。

バッハのピアノ曲のアーティキュレーションにはいくつかの原則があって(小節を越えてはつながない・音の長さの短いものから長いものへはつながない・など)現代と同じピアノはまだ存在しなかったこの時代、平均律クラヴィーア曲集のタイトルにもあるKlavier(クラヴィーア)とは3つの楽器の総称であった。すなわち、クラヴィコード・チェンバロ・パイプオルガン。1つ1つの曲はこの3つの中のどれかで弾くことをイメージして作られているので、それをイメージするところから練習は始まる。

また形式に目を向けると、現代では廃れてしまっているような形式・・フランス風序曲、さまざまな舞曲・・がタイトルに何も書いてなくても織り込まれているのでそれを判別しつつ個々の作品と向かい合うのは、知識と経験による実験の飽くなき繰り返しと言っても過言ではない。

それが徒労でないのは、バッハの音楽の持つ深い感情を知る歓びがあるからであり・・たとえばマタイ受難曲の冒頭のコラールなど歳を重ねるごとに涙なしでは聴けない・・時代を超えた作品が演奏できることに感謝と畏敬の念を覚えつつ練習あるのみの毎日です。Bach


Bach2

2015年11月 8日 (日)

クユムジャン先生から教わったメソード

もともと私は手に恵まれず、自分の表現したい音楽を音にするのに回り道をしました。教えてくれる先生を探して何十人かの先生の門をたたきました。その中で自分なりのメソードにたどりつけたと思うのでブログを書いてうちに習いに来てくれる生徒さん(ピアノの先生をしている教え子・大人の生徒さん・アマチュアだけどマニアックにピアノが好きな生徒さん)たちにそのメソードを伝えられたらいいなぁという思いから始まりました。レッスンではどうしても目の前の曲に集中してしまうのでなかなか全体像が見えなくなるからです。Img_0535_3さて、私が大事にしているクユムジャン先生から教わったメソードは、一言でいうならば腕や体の重さに耐えられる指や手を作る、ということでしょうか。数ある楽器の中でピアノを弾くときだけ指や手に重さがかかります。ヴァイオリンやチェロなどの弦楽器、フルートやクラリネットなどの管楽器、どれも腕の全重量が指にのしかかったりはしません。

よく「脱力」という言葉を聞きますね。脱力とは「力を抜くために何かの行為をすること」ではなく、「何もしないこと」です。体が呼吸によって完全にリラックスした状態を指します。けれどここがスタート地点なのですが、それはピアノを弾くとき背中から肩・腕までリラックスしていても指先は固定できないと音が通らないからなのです。一番体から遠くて普通ではそれほど強くはない指先の部分(そして手)が腕の重量を支えられるほど強くないと指は自由に動かないのです。このことが難なくできる人はピアニストになれます。けれどそれができない人はどうしたらいいでしょう?その答えがクユムジャン先生から教わったメソードでした。もちろんここは本当に基礎となる考え方の部分で、ピアノを練習する場合にはもっと実践的な方法へといかなければなりません。アルファベータ社「ピアニストが語る!」の巻頭にポゴレリッチがケゼラジェ(クユムジャン先生の先生)のメソードについて語っているのでぜひ参考にして下さい。

Honn_3















2015年10月 8日 (木)

バッハのアーティキュレーション

Hermannkeller2バッハのアーティキュレーションを語るとき外せないのがこの本「フレージングとアーティキュレーション」です。ヘルマン=ケラーという方の著作で音楽の友社から出ています。

アーティキュレーションというとなんだか難しそうですが、要するに1つのテーマあるいはモチーフの弾き方を選ぶとき、レガートからスタカートまであるタッチのどの段階を選択するかということです。それはそのテーマあるいはモチーフをどういう性格のものと解釈するか、に左右されるので、演奏者によりさまざまな解釈が可能です。最初に決めないと練習にはかかれないのに、その時点で全体が見通せていないと決まらないという何とも矛盾したというか、キモなところではあります。けれどバッハが彼以降全ての作曲家の土台となっている以上、ピアノ奏者にとって避けては通れない基礎中の基礎でもあるので、何年かに一度は必ずバッハの作品を練習することが自身のレベルアップに必要と感じています。なので進度の上がってきた生徒さんにもバッハは教えます。













2015年9月25日 (金)

バッハの奏法

Tenoeizou_2バッハの弾き方が分からないとおっしゃる大人の生徒さんは多い。バッハの時代、鍵盤楽器といえばチェンバロ・パイプオルガン・クラヴィコードの3つを指した。バッハの「平均律クラヴィーア曲集」はこの3つのどれかで弾くことを前提に作られたが、それがバッハの演奏を複雑なものにしている気がする。現代のピアノでバッハの作品を弾くとき、これらの楽器の特性を知ってどういうアーティキュレーション(1つ1つの音の切り方やつなぎ方)をするか決めることがまず必要となる。その楽曲の性格を感じながらテンポを決めたりデュナーミク(強弱法)を決めたりすべてをほぼ同時におこなう。アーティキュレーションには原則が3つほどあり、それ自体は難しいことではないが、「例外のない規則はない」のことわざ通り、演奏するものの主観により変化をつけることが可能なので、楽曲全体に通ずる論理性が必要となる。

2015年9月22日 (火)

音楽の心

Neo1_2音楽を奏でるのに何を一番大事にしているかというのは人それぞれなのですが、私は「心の自由」と「音楽が生きている」ことにこだわっています。自分の受けてきた教育もそうでしたし自分のレッスンもそうですが、弾きたい気持ちを大事にすること、いろいろな事象から自由になって自分の世界に入ること、そして奏でた音楽が「生きていること」つまりいのちをもって輝くこと、そういうことを大事に思います。それに集中するために、自然のなかへ行って風を感じること・葉のそよぐ音に耳をすませること・刻々変わる空の雲に見入ること・・そういうことで心が満たされて、幸せな気分になれます。音楽は人の心から生まれたものですが、音楽の細胞とでもいうべきフレーズの一つ一つは、自然のなかにあるいろいろなものにとても似ているように思います。例えばシューマンの幻想曲の冒頭の左手のアルペジオは、木々の葉が吹いてくる風に鳴る音にとても似ていたり。もちろん風景ではなく、人の感情をそのまま語った音楽もあるし、本当にさまざまな顔が音楽にはあって、演奏するものはその時の自分の選択によってある面を切り取る、というかその曲に寄り添うというか、音楽と自分が一体となって特別な瞬間を創り出す、というふうに感じられるのです。

2015年9月17日 (木)

奏法1

奏法という語の定義は?私的には「今の自分の弾き方」を指しています。なぜなら、師事した先生はあまたですが彼らに教わったことは自分の中でブレンドされ発酵し、いつの間にか「私流」になってしまっているから・・それでも私にとって自分から切り離せないメインの奏法というのはあります。アルメニア人ピアニストのクユムジャン先生は、ポゴレリッチの奥様のアリサ・ケゼラジェに師事されたそうで、その奏法を私に教えて下さいました。これはロシアの奏法ということになるのでしょうか?けれどロシアの奏法はロシアの作曲家の音楽と深く結び付いていて、チャイコフスキーやスクリャービン、プロコフィエフなどたくさんの和音の重なりでできている音楽を弾くための奏法といっても過言ではないでしょう。その意味で私は手が決して大きくはなくロシアの作曲家たちというよりは、バッハやショパンのエチュードなどをクユムジャン先生のところで習ったので、ロシアの奏法を正統的な意味で身に着けたとは言えない気がします。とはいえ手の中の筋肉を強化する練習法などは、私にとって進化し続けるためになくてはならないメトードなので、、ただそれを教えるのは本当に手の用意ができた人にのみ可能で、レッスンの中ではなかなか教えられていません。。